波山は、ふるさとが大好きな人でした。波山の号が筑波山に因むことは、知られていますが、それ以前は、市内を流れる勤行川(五行川)から、勤川と号していました。波山という人は「ふるさとの自然や歴史・文化によって、自分は育まれたという強い意識と、この大好きなふるさとのために、自分もなにか役に立ちたいという気持ちを持ち続けた人」のように思います。
しかし、波山はお金持ちではない。陶芸家を目指した若い頃は、米の飯にも困る極貧。暮らしがやっと安定したのは、還暦近くだったと言われます。お金で役に立てない波山は、別の方法を考えました。ふるさと下館の80歳以上のすべての老人に鳩杖を贈ったり、戦没者の遺族に、観音像を贈ったり、文化財保護のために働いたり、もっぱら自分の技と知恵で、役に立とうしたのでしょう。
その波山が、最晩年に考えたのは、貧しくて、進学が難しいふるさとの若者に奨学金を提供する財団をつくることでした。その基金として500万円、そして、生家と庭を寄付しました。
この500万円の基金は、決して十分ではない。むしろ貧弱と言えるでしょう。
波山は、元来、金銭には淡白で殆ど関心を持たない人でした。お金を貯えるのは、波山の不得意分野だったといって良いかもしれません。500万円は、質素な暮らしの中からひねり出した波山としては、精一杯のお金だったに違いありません。
茨城県から、財団認可の報が届いた時、91歳で病床にあった波山は、軽く頷いて、安心したのか、その1時間後に、息を引きとったと言われます。
こうして1963年(昭和38年)に発足した財団は、2023年(令和5年)には60周年を迎えます。この間1979年(昭和54年)には、波山の工房や窯が東京田端から移築されました。1995年(平成7年)には下館市(現・筑西市)が、波山記念公園・板谷波山記念館を、市の施設として再整備。施設の管理運営は財団に委託されることになりました。
その後も、波山先生記念会は、筑西市の指定管理者として、板谷波山記念館の運営管理にあたっております。長い間、筑西市と市民を始め、多くの波山フアンのご支援のお蔭で、財団は続いてまいりました。ありがとうございます。どうぞ、今後ともよろしくお願い致します。
公益財団法人波山先生記念会
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